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水耕栽培のフロントランナー

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株式会社エム 式水耕研究所 会長 村井邦彦

伊勢湾台風が残した水耕栽培へのヒント

私は愛知県の弥富市で農家の長男として生まれました。この地域は、今からちょうど50 年前の伊勢湾台風(注:5000 人近くが亡くなり、戦後最大の被害を出したとされる台風)で、大きな被害を受けました。私は当時まだ高校生で、台風による大洪水で自分が海抜マイナス3 mのところに住んでいたことに初めて気づかされ、また、「生きる」というテーマを突きつけられました。そして、これからどうやって生きていこう、ということを考えたのです。

現場では、ほとんど死の世界の中、浮き草が多く浮いていました。そのとき、ふと「なぜこんなに浮き草は元気なのだろう?」と疑問に思ったのです。そして、後に水耕栽培を手がけるきっかけとなった3 つのことに気づきました。1 つ目は、浮き草が水だけで生きている。つまりは水耕であるということです。2 つ目は、浮き草を取り上げると根が付いていたこと。そして3 つ目は、浮き草は動くということ。農業といえば不動産ですが、浮き草は動産なのです。

このときの経験がもとになって、水耕栽培というものに取り組もうと考えました。浮き草が、私に水耕栽培の可能性を教えてくれたわけです。

計画生産への移行

それからテストを積み重ねて、「水耕で野菜を育てる」ことについて研究しました。最初の頃の栽培システムは、水を流すだけの非常に簡単なしくみで野菜をつくるというものでした。30 mくらいの棚に100 本のトマトを植えてみると、ちょうど水が落ちる場所に植えてあったものが10 本くらい、非常に元気よく育っていました。そこで、「根に酸素が必要」という気づきを得たのです(1-2-(3) にて解説)。そこから始まって、それでは1000 m2 でも2000 m2 でも同じように根に酸素を届けるにはどうしたらよいか、1 つ1 つのコンテナに届くトーナメント式のような配管を考えたり、浮き草に倣って発泡スチロールで植物を浮かせる方法を思いついたりしました。10 年くらい試行錯誤し、最後に「農業は工業ではないか」という発想へたどり着きました。


Creative Commons License photo credit: HankHankering

酸素をしっかり届ければちゃんと生産できるということがわかったので、年間の回転率や歩留まりにも着目し始めました。そして、もう1つテーマにしたのが「精密」ということでした。農業は、自然にとても左右されます。自然の恵みとはいいますが、恵みでは他力本願となりますので、私は農業に計画性を加えることができないかなと思いました。水耕栽培において、年間の回転率や歩留まりを考えるようになり、投資効果を見出すようになったのです。25 年前、私は渋谷の西武百貨店の屋上でPR していました。当時は、水耕栽培でお金を儲ける高額所得農家も出てきたくらいです。

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